角田 靖世さん

以前はどういう暮らしをしていましたか。

横浜生まれで大学までは横浜にいました。昔から田舎には憧れがあり、夏休みになったら、同級生たちは田舎に帰ったりするけれど、私は隣の駅に祖母が住んでいて、帰省がそんなにワクワクすることではありませんでした。みんなが山や海で遊んで来たというのを聞くと羨ましかったです。大学生になって就職活動をする時に「私はこのまま横浜市内で一生を終えるんだろうか?」とその時ふと、子供の頃に感じた感情が沸いてきた記憶があります。このまま当たり前のように都会で就職していいのかなと。
その後、就職は某リゾート会社に決まって、最初の赴任地は静岡県の伊豆の方でした。神奈川に比べるとちょっと地方に出たような感じでした。そこから長野に行ったり、鳥取行ったり、また長野に戻ったり、最後は沖縄で計7年働いていました。

就職してからの生活は、地方に住んでいながらも仕事と家との行き来が多かったです。サービス業で体力勝負だったこともあって、休日はひたすら休息を取るというような生活でした。仕事にはやりがいを感じていたんですけど、今振り返ると、もう少し地方を楽しめたのかなぁとも思います。地方で働いて、長期での休みは横浜や東京、実家に帰ったりしていました。地方で生活しているというよりかは、仕事をしに来ているという感覚でした。休みになったら、買い物をしに出かけるような生活でした。転勤が続く仕事だったので、どこかに根を張って暮らしたいという気持ちがありましたね。同時に仕事に対して体力の限界を感じていました。

▶︎娘さんと

各地方での仕事を終え、その後、地方移住をしようと思ったのはどうしてですか。

「地方に」という意識はありませんでした。社会人になって7年余り、ずっと地方(北陸や山陰、沖縄)で生活していたので、「地方に」という意識はなく、とにかく好きなところに根を下ろしたいという思いがありました。無意識のうちに「地方」を選択していたんだと思います。仕事自体は楽しかったけど、地元の行事も参加できず、生活の実感がなかったんですよね。

沖縄では、石垣島に住みながら、船で20分の竹富島で仕事をしていたんですけど、ここの仕事で最後にしようと思っていました。今度は会社からの指示ではなくて、自分で見て、自分の住みたいところで新しい生活をしたいなと思ったんです。「横浜帰って来れば」と親とか友達からは言われたんですけど、それはこの7年間を活かせないなと思って、地方を見てきたからこそ、また地方に住んで、自分のやってきたことを活かせるようなことがしたいと思っていました。今度こそ自分の住む地域を愛して生活したいという思いがあって。夫にも相談して、二人で好きな土地を探そうと決めました。今まで赴任先1ヶ所あたり長いところで3年、面白くなってきた頃に、また違う赴任先が決まるという流れが多かったので、今度は長く根を下ろして暮らしたいという気持ちが強かったです。

夫と移住先の候補をどこがいいか話してたら二人とも四国だったんです。唯一、2人とも仕事で四国だけ来たことがなかったんです。いい意味で未知数で先入観がなくて惹かれました。石垣島というかなり日本の最南端にいたのでいいこともあったけど、やっぱりちょっと大変でした。何かあった時にすぐに本州に出られなかったり、横浜に帰るのも飛行機で3時間ぐらいかかってしまいます。移住を考えると、関東に住む両親になにかあった時でも、ある程度すぐに駆けつけることができる、本当に長く現実的に暮らせる場所であることがどうしても大事でした。ただ単に自然がきれいなだけではちゃんとは暮らせないなと。そこはシビアに。

最初は島々は考えてなかったです。四国のどこかにしようと考えてました。その中でたまたま、夫が小豆島で仕事を見つけて、一度島を見に行ってみました。二人とも地方暮らしの苦労も分かっているので、病院があるか、若い人がいるか、車でぐるぐる見て廻りました。きれいな自然、温かい島の人…はもちろんだけど、しっかりと根を下ろして暮らしたいと決めていたので、結果的に周辺地域へのアクセスの良さ、インフラ、仕事が決め手となりました。

ちゃんと暮らせるかの判断基準をもう少し詳しく聞かせてもらえますか。

まずは子育てです。高校まではある場所がいいなと思っていて、島には高校まではありました。あとは買い物のしやすさや病院などインフラ面。地方で買い物に行くのに3時間かかる場所に暮らしていたこともあって、いくら自然豊かな場所でも自分にとっては厳しかったのでそれは避けたいと思っていました。住んでいる人の雰囲気も少しはありましたね。島を見て回っているときに、何人かの地元の方に移住を考えていることを話してみたら、「辞めときっ」と言われましたが、ホテルのフロントの方は「いいですね」と言ってくれたんです。その方と出会ってなければ、移住をしていなかった可能性もあります。フロントの方は若い方で、若い世代の方が受け入れてくれるのは心強かったです。それと小豆島であれば、人生の夢も叶えられそうだなという面もありました。2人ともホテルで働いていたこともあって、いずれ宿をやりたいという夢があったんです。ある程度、観光地としての基盤もあるのでここならいけるかもと思いました。

仕事は、夫(当時は未婚)が先に決めてから移住してきました。私は住んでからのんびりと探しました。家探しは夫の仕事が決まって、挨拶に行く時に夫だけ島に行って見てきてくれました。2、3軒まわり撮ってきてくれた写真を見て、ここにしようとマンションに決めました。というか他に選択肢がなくて(笑)。最終的には勢いで決めざるを得ませんでした。
何年か暮らした後に改めて定住する家を決めたかったので、まずはあまりこだわりを持たずさっと決めました。移住を考えてから住むまではトータルで3ヶ月くらいでしたかね。
まぁ、どうにかなるだろうと。あまり不安はなかったです。1人ではなく2人で生活するということも大きかったと思います。

▶︎ママ友たちと

移住してから大変だったことや困ったことはありますか。

自分達が「移住者」と呼ばれていることに驚きました。先に移住されてお店を立ち上げたり、イベントを主催したりと活躍されている「移住者」がいらっしゃったので、私も何かしなければいけないのかなと勝手にプレッシャーを感じていました。実際「何かやるの?」「お店か何かやるために来たんでしょ?」とよく声を掛けられていました。ただ単純に小豆島で暮らしたい、それだけなのになぁと困惑していた記憶があります。今でこそ自分たちの生活スタイルに胸を張れますが、当時はちょっと辛かったですね。

夫がそういうのを気にしない人だったのがよかったです。「期待されないよりいいだろ〜」ぐらいの感じで。「じゃ、なにかするときにはよろしくお願いします」というぐらいでそんなに深刻に受け止めなくていいんじゃないかと言ってくれて。そのときになんで、自分はここで暮らしたいかというのを改めて考えました。そこをちゃんと持っていないと、ほかの移住者の生活ぶりに振り回されてしまってはダメだなって。原点に帰って、なんで自分たちは東京に帰らなかったのかを考えました。それで私は「好きな人と、好きな場所で、好きなことをして暮らしたい」ということだと改めて思ったんです。それからは、迷ったときにはその想いが叶ってここで暮らしていることを思い返すようにしています。

そういえば、家を建てる時にも結構悩みました。島に家を建てて、根を下ろして暮らそうと工務店に相談しに行ったら「移住者で家を建てるって前例ないよ。古民家あるやん」と驚かれました。確かにまわりの移住した友達も、リフォームやリノベーションしている人はいても、土地を買って一から建てている人はいなかったんですよね。暗黙の了解で「移住者=古民家」みたいなのがあるのかなって。そこでももう一回、夫とどういう暮らしがしたいのかという話し合いをして、自分たちの好きな空間で暮らしたい、それが別に移住者だからダメってことはないだろうと。雑誌とかでも、みんな築数10年の家をリノベーションしましたとか美しい例として紹介されているし、島でも空き家を活用しましょうと謳われている中でちょっと反しちゃうよなという後ろめたさもあったし、まわりの目が気になりました。だけど、後押しになったのが、結果的に土地を買って、家を建てることを自治会長さんに伝えた時にすごく喜んでくれたことです。「ということはずっといてくれるんやな」と言われて。あ、そういう見方をしてくれる人もいるんだと安心しました。そこで「あっちに空き家あるやん」とか言われてたらちょっと心折れてしまっていたかもしれないです。最初は後ろめたさがあったけど、今は、堂々と「暮らし方は都会のスタイルかもしれないけれど、小豆島で暮らしたかったんです」と言えるようになりました。

今は週末、1日1組だけの民泊も始めました。子供部屋はそんなに使う期間が長くないから、子供の小さいうちは人に泊まってもらう場所にしようと決めました。私たちも吉野がすごく好きだったので、たった1組しか泊まれないけれど、吉野に足を運んでもらうきっかけになったら嬉しいです。家族で一つの目標を持ってプロジェクトを進められるのは楽しいですね。

▶︎週末は1日1組貸切の宿「SOTOHAMA HOUSE」を運営。

交友関係はどうやって広げていきましたか。

移住して早々に島の交流イベントに参加しました。そこでの出会いは大きかったです。老若男女いろんな方がいて、なんかもうそれだけでワクワクしました。そこでの出会いから、島の飲食店でのアルバイトを紹介してもらうこととなり、そのアルバイトでさらに人の輪が広がりました。 子供が生まれるまでは移住者の友達が多かったですね。子供が生まれたら一気に島のお母さんたちと知り合うことが増えました。子供ができたらまた違う島の世界が広がった感じはあります。あいいく会、支援センターなどで、今まで行ったイベントでは出会わない人ともたくさん出会えました。こんなに子供がいるんだ、子育てしてる人がいるんだというのは励みになりました。

島での子育てはどうですか?

いい!すごくいいです!
「あ〜、もう都会で子育て大変!」と嘆いている友人を呼び寄せたいくらい、いいです。孤独感がないんですよね。私、里帰り出産をして、生後1ヶ月まで横浜にいたんですけど、両親もいるし、友達も時々来てくれるけど、それ以外あまり喋ることがなくて。結局寂しくなっちゃって、本当は3ヶ月までは横浜にいるつもりだったけど、やっぱり早く島に帰ってきてしまいました。帰って来てからは、ご近所の人が「精力つけえっ」と野菜をいろいろ持ってきてくれたり、「子どもめっちゃ泣いてるやん。ちょっと代わるから、寝えなぁ」と来てくれることがあったりしました。横浜で子育てをしていたらありえないようなことがいっぱいあって。確かに両親は島にはいないから一人なんだけど、島にいる方があまり寂しくないという不思議な感覚。小児科も待たずに行けるし。困ったことは思いつかないですね。子供が産まれてから島暮らしにしてよかったとさらに思っています。夫が会社で初の育休を1ヶ月半取らせてもらえたことも有り難かったです。

▶︎地域の秋祭りにも参加

島で暮らしてから価値観に変化はありましたか?

産後は、仕事を14時までにしてもらっていて、16時半に娘を保育園に迎えに行くのが日課なんですけど、移住前の私だったら16時までバリバリ仕事して30分で迎えに行けばいいやと考えていたと思うんです。でも今はそれでは島に暮らしを移した意味がないなと思うようになりました。休日を体を休めるためだけの日にしてはいけないと夫も私も今は思っています。休日も家族で全力で楽しむと決めているので、平日は自分の中で、仕事、育児、家族、生活のバランスをちゃんと考えられるようになった気がします。以前は「頼まれればなんでもやりますっ!」という感じだったんですけど、今は心のゆとりを大切にするようになりました。こういうスタイルで働かせてもらえるのも、地方ならではかもしれませんね。

移住を考えている方へのアドバイス

私はあまり深く考えずに移住してきた方だと思います。でもここに根を下ろすんだという決意だけは持っていました。だから島をとことん好きになってやろうと思っています。そして、好きになればなるほど、暮らしは豊かになっている気がします。

是非、移住を考えている方にも「小豆島を好きになってやるぞ!」という覚悟をもって来てもらいたいです。その気持ちさえあれば、きっと自分らしい島暮らしが見つけられると思います。

(2019年8月24日インタビュー)

プロフィール
角田 靖世(つのだやすよ)
1985年神奈川県横浜市生まれ。
沖縄県石垣市から2015年6月に小豆島に移住。
家族構成:夫、娘(1歳)※2019年9月時点
職業:小豆島観光協会職員(パート)と民泊”SOTOHAMA HOUSE”を運営中。

SOTOHAMA HOUSE

小豆島屈指と称される夕陽の名所「吉野浜」の海辺すぐの場所でプライベートな滞在ができる宿です。
部屋は1日1組貸切のメゾネットタイプ。家主の居住エリアと鍵つきのドアでつながっていますが、専用玄関から出入りする、プライベートな空間です。シャワーブース、ウォシュレット付きトイレ、簡易キッチンもあります。

取材・文:坊野美絵

インタビュー取材・文担当。1987年大阪生まれ。2013年から香川県小豆島在住。小豆島観光協会の広報などを経て現在はフリーランスでライターとして活動している。

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