三木 政人さん

島に戻ってきたのは、「伝統を継ぎたい」という想い

島に戻ってきたのは、父の死がきっかけです。
社会人2年目の時に父が急に亡くなりました。高校を出てからは、香川県の善通寺にある大学へ入ってずっと野球をしていました。大学卒業後は就職課に紹介してもらった高松市内のアパレル会社で販売員をしていたんです。社会人を3年経験して自分の気持ちが固まってきたら、小豆島に帰るか、今の仕事を続けるか、ちがう仕事に変えるか考えようと決めていたんですけど、2年が経った頃に父の死があり、帰ることを決めました。

まずは「マルカツ製麺所の伝統を守らないといけない」という気持ちが強かったです。運営はさておき、漠然と「伝統を継ぎたい」という気持ちで帰ってきました。幼い頃から見ていて、大変さもわかるし、家族経営だし、自分が継ごうと決心しました。伝統行事にも、もともとすごく興味があったので。

素麺の食文化を次の世代に繋ぐために、新しいことに挑む

素麺づくりは楽しいです。
自分でものづくりをしていると1日があっという間に終わって充実感があります。昔は島内に素麺業をしているところは250軒くらいあったんですけど、今では120軒くらいとかなり減っていますね。職人は60代〜70代が一番多くて、20代が極端に少ないんです。でも工場が家とセットなので、身内以外を雇うことは難しいでしょうね。素麺はバブルの頃は何もしなくても売れたみたいですけど、今は新規のお客さんについてもらうことが難しいです。素麺を食べる機会もどんどん減ってきてるみたいですし。認知してもらわないといけないのでSNSでの発信にも力を入れてます。営業の仕方も分からないし、製造をしていると営業する時間もないので。SNSが営業になってます。instagramに一番力を入れてるんですけど、最初は使い方が全然分からなかったので本を読んで戦略を学びました。ほかと違うことをしないといけないと思って、いろんな素麺屋の投稿を見ていると製造工程を載せている所が少なかったので、製造工程を中心に投稿することにしました。毎日、投稿してるんですけど、毎日、文章を考える時間を取るのは大変なので、月曜日に1週間分まとめて考える時もあります。写真はプロの方にまとめて撮ってもらいました。
その結果、だんだんフォローしてくれる人が増えてきて今では1.6万人になりました。売り上げも少しずつ増えました。地域の人も見てくれてて、販売したいと言ってもらえることもあります。工場にも突然、instagramを見た海外のお客さんが訪ねてくれることもありました。

素麺はゼロからのものづくりなので、本当に自分の子供のようで、自分がつくったものが完成して、お客様に食べてもらっておいしいって言われるのが一番の喜びではありますね。日によって素麺の状態が違うので大変さもありますけど、それを感知しながらのものづくりというのは僕はすごく楽しいです。一日もあっという間に過ぎますし、それだけ充実してるんだなぁとは感じます。素麺の歴史が途絶えないように若い力でしっかり守っていきたいです。どんどん減っていっているので使命感も感じますね。

素麺づくりを通して感じる自分の変化

素麺の製造を教えてもらった叔父からは12時間で仕事を終えられるようになったら一人前と聞いていたんですけど、職人は一人前っていうのはなかなか自分で判断できませんね。でも、ものづくりに関しては、最初の頃より8年経って今だいたいわかるようになりました。「あ、今、空気乾燥してるな」とかも肌で感じて分かります。それでも、自然との戦いだし、失敗は今でもあります。素麺の生地づくりは、めちゃくちゃ温度が高かったら生地がどんどん伸びる現象が起きるんですよ。最初はものすごく柔らかくなってびよんびよんになったりしました。伸びるのを抑えるためには塩を入れるんです。天気予報は必ず毎日見て、今日は何度だから塩の量はこれくらいっていうベースは自分の中で作っています。塩に関しては毎年、毎年、この量だったらうまくいくんじゃないかというチャレンジはしてます。夏場は温度が高いので塩を多めに入れるんですけど、入れすぎると素麺が乾燥した時に石のように硬くなる。だからみんな夏の製造を避けて塩をあまり使わないですむ、冬に製造をしているんです。それでも夏場でも注文が入って、なくなったら製造しないといけないじゃないですか。だから、毎年、塩をどれぐらいにしたら硬くならいないか、まわりの素麺屋さんに聞き歩いてます。最高気温も毎日見てメモ帳に記録しています。そのデータを見て塩の調整をするようにしていますね。生地の柔らかさに関しては叔父からは「マルカツでは耳たぶぐらいにするんがベストや」と聞いていました。他のところはまた違うと思うんですけど。

家業以外だと、自分が生まれ育った場所なのに、知らないことや、それまでは理解が少し乏しかったことが多かったんだな、ということも少しづつ分かってきました。例えば、避難訓練や地域の河川清掃などの地区行事や寄り合いも「自分は別にいいから出なくてもいい」ということではなく、同じ地区に暮らす一人としてお互い支え合っていかないといけないと改めて感じています。この地区に育ててもらい、伝統を継いで仕事をしている者としてもそういった視点はとても大切です。

居心地の良さを感じる日々の暮らし

大学に入ってからは夏、秋、正月だけ帰省していました。久しぶりに会う家族や、友人との再会が一番の楽しみでした。そこで「今、小豆島こんなことになってるぞ」と情報交換したり。そういうのがすごく楽しみで帰ってきていました。島に対しては昔から好きな気持ちがありましたね。不便だけど、ほっとする場所です。あと、野球のオフシーズンや祭りの時期は帰っていましたね。同級生がたくさん小豆島に住んでいるので、その友達に会いたいという気持ちもあって。

いざ帰ってみると、生まれ育った場所なので、やっぱり居心地がいいです。「時間がゆっくり流れている」っていう感覚はありました。アパレルは拘束時間が長くて、不定休だったので、労働時間は長く感じてたんですけど、その頃と環境はがらりと変わりましたね。それと地域の人とのふれあいが多くなって楽しくなってきました。前から顔は知ってて名前を知らない人がたくさんいたけど、ちょっとずつ知り合いも増えていきました。

島の生活で心配な点としては、まず医療ですね。島にも総合病院はありますが、高度医療はできないので、大きな病気をしないように気をつけないとな、とは思っています。それと、子供用品の買い物でよく高松に行くんですけど、船の交通費が車を乗せると高いことです。インターネットで買い物しても離島扱いにされて送料が高くなることもありますね。

子どもを育てるベストな環境

先輩や母親に子供を育てる環境としては小豆島がベストだと子供の頃からずっと聞いていたので、実際に自分の子供が生まれてみて、ゆっくりしていて、すごくいい環境だなと思います。昔から島に住んでいる友達が先に子供を産んでるので、どうしたらいいか聞けるのも心強いです。地域の集まりでも子育ての相談ができるんですよね。「この店って子供連れオッケー?」って聞いてみたり。保育所行っても、お世話になった先生がいて「あんたの子なん?」ってすぐ打ち解けたりするんです。

考えて、手を動かし、チャレンジする。

しっかり伝統、歴史を守っていくうえで、さらに新しいことに挑戦していきたいと思います。ボーっと生きていてもダメだなとこの8年間で気づきました。素麺づくりを教えてくれていた人もみんな亡くなったので、分からないことは自分から他の素麺屋さんに聞きにいくようにしています。自分が代表になると正解がわからないんですよね。昔からやってきたことが今の時代に合ってるか、作業面でもこれが効率的にいいのか、もっと違う方法があるんじゃないかっていろいろ試してみるんです。それで、人に相談もしたりしながら、とりあえずやってみるようにしてます。その中で納得を持てるようになったこともありますね。真似じゃなくてオリジナルでやっていくことを自分では心がけています。

プロフィール
三木 政人(みき まさと)
30歳代、小豆島生まれ。
高松から、2013年にUターンし、マルカツ製麺所代表 6代目として家業を継いでいる。
家族構成:妻、娘(1歳)※2019年10月時点

インタビュー取材・文担当。1987年大阪生まれ。2013年から香川県小豆島在住。小豆島観光協会の広報などを経て現在はフリーランスでライターとして活動している。

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