渡利 知弘さん

離島でありながら島っぽくないところがよかった

結婚してから小豆島へ移住するまでは、東京の町田に住んでいました。
夫婦で仕事をしながら、週末は外で思いっきり遊ぶライフスタイルでしたね。僕はクライミング、妻はサーフィンを。
休みにはほとんど都会にいなかったんじゃないかな。

まとまった休みができると、夫婦でよく島旅をしていたんです。2015年の夏休みにどこへ行こうか相談していたときに、小学生時代に高松に住んでいたことがある妻から「瀬戸内海にも小豆島とか豊島とかたくさんあるよ」という話が出て。

いろいろ調べてみると、豊島に内藤礼さんが作った美術館があった。以前から彼女の作品は好きだったので、豊島に行ってみたいなあと思ったんです。旅の目的の1つだった釣りもできそうだったし。だから実をいうとこの旅では、小豆島は豊島へ観光に行くための経由地でしかなかったんです。
でも、せっかくだからって、小豆島ではカヤックツアーに参加しました。ガイドの方に島の現状を聞いたり、島内を車で走りながら。

少し見てまわったりして感じたのは、いくつか島を旅してきた中で、小豆島はメチャクチャ便利だな、と。離島なのにインフラは整っているし、大きなスーパーやコンビニ、ホームセンターもある。フェリーの便数は多くて利便性もよい。
離島で暮らすというのは、都会からいきなり引っ越してきた者にとってはいろいろ色々ハードルが高いじゃないですから。結果、こうやって移住することになったんだけれど、いろんな意味で小豆島は、ちょうどよい規模感だったんですよね。

空き家バンクで見つけた1軒目で運よく即決

移住先として小豆島を候補に考えるようになってからは、空き家バンク情報を毎日のようにチェックしていました。その年の年末に、今住んでいるの物件が出てきたんです。
さっそく年明けに内見しに行ったら、間取り図や写真からイメージしていた通りで。大部地区は島内では”田舎”と呼ばれるエリアだけど、敷地は広いし、海も山も、そして港もすぐ近く。せっかく島に住むなら、建物がひしめき合っているのは嫌だったので、ゆったりとプライベート感のある立地も気に入りました。その場ですぐ大家さんと契約交渉したのを覚えています。
島での仕事はまだ決まっていなかったにも関わらず快く貸してくださって、本当に有り難かったです。

僕たちは東日本大震災を経験したこともあって、消費するだけの生活サイクルから抜け出したいという思いがありました。自ら何かを生み出せる、生きるチカラのようなものを身につけたくて島暮らしを選択したというのも移住したきっかけのひとつです。
完全なる自給自足はかなり難しいけれど、今は大家さんの畑を半分ほどお借りして、できる範囲で野菜を育てています。

人との出会いに恵まれ、追い風に乗って…

島での仕事は決まっていなかったけれど、少しのんびり過ごしながら探そうかと思っていました。でも、移住して1カ月も経たないうちに、関東の知人からの紹介で、小豆島で新規オープンされる店舗の内外装工事をさせていただくことになったんです。

それからも人との出会いに恵まれ、島内での繋がりがいろいろできていきました。僕が20年来趣味にしているクライミングに興味を持ってくれる人たちがいて、2017年冬に土庄町主催でクライミングの体験会を島内でやってみようという話になったんです。
土庄町にある総合会館ホールに仮設の壁を僕が作り、約1カ月の期間限定で誰でも体験できるイベントを開催。期間中に延べ2,000人以上の参加者があり、想像以上に盛り上がりました。

その光景を見て、常設でいつでもクライミングが楽しめる施設を自分たちでつくろうと決心したんです。はじめはちょうどよい物件がなかなか見つからなかったけれど、島の知人が紹介してくれて、ある時ふっと大きな倉庫物件が現れた。追い風に乗って、いろいろなことがトントン拍子で決まっていったような気がします。ガチガチに決めて島に引っ越してきたわけでもなく、状況をみながら柔軟に動いていったのが、むしろよかったのかもしれないですね。

島の子どもたちにとって、将来の選択肢が増えればいい

結局、島に来てからのんびりなんてできていないですね。
今はクライミングジムの経営をはじめ、木工品制作や大工仕事、草木の伐採などいろいろと兼業していますから。
でも気持ちの面では、関東にいたときとは感じ方が全然違う。以前は常になにかに追われてような感覚があったかな。島で忙しくしているけれど、ふと目に入る景色がに癒されるし、時間の流れ方もやっぱり違うから。だから、それほどストレスは感じないですね。

クライミングジムを開業して4年目になるんですけど、島内外からさまざまな人が来てくれて、たくさんの人に出会えるのが楽しいです。なかでもうれしかったのが、よく来てくれていた中学生に成長し、自分達たちだけで片道30分以上かけて自転車を漕いで、このジムまで遊びに来てくれたこと。島の子供たちは、それくらいのバイタリティがあっていいんじゃないかな。
クライミングの楽しさやカルチャーを実感してもらえるように、まだまだ場は増やしていきたいですね。さらに、島の子供どもたちが将来に役立つスキルを学校以外で学べる場所として活用できたらいいなと考えています。たとえば、モノづくりに興味があるをしたい子たちに僕が木工のイロハを教えたりして。

小豆島には地元の人、移住してきた人関係なく、すごいスキルを持っている人がいるし、そういった移住者もたくさん集まってきている。その道のプロがそれぞれ島の子に伝え、教えていったらおもしろいことになるんじゃないかな。
島の子どもたちの将来の選択肢が増えてくれればいいですよね。

(2020年3月13日インタビュー)

プロフィール
渡利 知弘(わたり ともひろ)
1977年、東京都生まれ、2016年春、小豆島に移住。
2017年に島内初のクライミングジム「MINA. UTARI」をオープン。
同スペースに木工場を併設し、家具職人の経験をいかして木工品制作も行っている。
昨年はクライミングイベント「瀬戸内JAM’19」の小豆島開催の運営にも関わった。

MINA. UTARI

小豆島初のボルダリングジム、MINA. UTARI(ミナウタリ)。アイヌ語でミナ=笑う、ウタリ=仲間という意味があり、クライミングを通じて、笑いあえる仲間とたくさん繋がってほしいという想いで2017年オープン。最新の営業日・時間等は下記リンクをご確認ください。
https://minautari.com/

インタビュー取材・文担当。小豆島出身、進学のため島を離れ、大学卒業後東京で約10年アパレル関係会社で勤務。2017年に小豆島へUターン。現在はpizza kamosでの店舗プロデュースをメインにプランナーとして活動中。

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