須浪 聖龍さん

この仕事は役割みたいなもの

小豆島の四海(しかい)にある家業の造船所を親父と2人でやってます。
主には、四海漁港の漁船のメンテナンス。島内にも造船所はいくつかあるんですが、今はどこも人手不足ですね‥まぁ、こういう裏方の仕事は、あんまり若い人はやりたがらないよね(笑)。
四海は香川県下でも2番目の水揚げ量がある大きい漁港でね。昔からいる漁師さんの数も多いんですよ。
ウチはずっとここで商売しているので、漁師さんとセットみたいな感じですね。漁師さん達がいる以上は、仕事はあるから。
逆にこっちが辞めたら漁師さんも困る。自分がこの仕事を継いだのも、責任感とか言うよりは、一種のそういう役割的な部分が大きいかな。

島で育って中学生ぐらいの年頃になると、島が退屈で‥みたいな人は多いんだけど、自分はそれほど島の環境に不満も無くて、ただ出たいっていう気持ちは無かったんです。でも、勉強すること自体、ゲームのレベル上げみたいな感じで昔から好きなこともあって、高校は高松の進学校に行ったんですよ。
でも、入ったはいいけど、全然面白くなくて‥寮生活だったんだけど、高松は島と比べたらだいぶ都会じゃないですか。そういうのもあって気持ちが疲れるし、ずっと育った島の環境の方が好きだったのもあって、よく島に遊びに帰ってきてたね。
結局、学校半分くらいしか行ってないんじゃないかな(笑)。

その後も、一応進学校まで入れさせてもらったから大学まで行かないとという思いもあって、比較的自由そうな京都の芸術系の大学に行ったけど、そこもほぼ遊びに行ったみたいな感じで気楽な大学生活を送りながら、夏休みに帰って家業を手伝ったりはしていました。
それから、大学卒業くらいのタイミングで実家(家業)が色々バタバタしてて。当時は、すぐ帰ってくるつもりはなかったんですけど、親も体調崩したり、家族も周りも辛そうやったのでこれはまずいなと。そういった流れの中で戻ってきました。
就職活動もなんか性に合わなくてしてなかったっていうのもありましたけど、やっぱり島が好きなので、巡り合わせですね、もう。

手を動かしながら、体が覚える

日々の作業に追われてることが多いので、何年経ったとか普段は気にもしなかったけど、24歳の時に帰ってきてなので、もう12~3年くらい経ちますね。
ウチは、船のメンテナンス系の仕事がほとんどなんで、イチから船を造るってあまり無いんだけど、29歳の時にお祭りの神輿用の船を初めて作らせてもらいました。
忙しい時期も重なり、親父も手が回らなかったのもあって「おまえ、やってみるか?」って感じだったけど、ムチャ振りってやつですよね(笑)。当然やったこともなかったんだけど、作りながら覚えるみたいなスタイルが性に合ってたのと、頭で教えてもらってからよりも手を動かしながら体に覚えさせるっていう方が、実際早いんですよ。こういう仕事って。
出来るまでガッツリやって充実感もあったし、今振り返るとそのことがすごく良い経験でしたね。
その翌年くらいにも底曳きの船も1隻作ったんやけど、納期に間に合わす為に毎朝4時~22時まで10日間くらいぶっ通しでやったりもして‥まぁ、体がおかしなりましたわ(笑)。その時は、なんとか間に合ったけど、その後は1週間くらい放心状態で。

最近は、船のメンテナンスの方の仕事が増えてるのもあって、造船の仕事はあまり受けてないです。造船の案件はかなり労力を使うし、ミスが許されないので精神的にも張り詰めた状態で何日間もかかりきりにならないといけない。ウチは小さい造船所なので、まず人手が足らんというのが一番ですね。あとは、景気が悪くなって造船自体頼む人も少なくなってるってのもあったりとか。こういう漁師相手に船商売する人も減りましたね。
あと、ウチみたいな造船とか船の修理の職人って、漁師町の中だとマイノリティなんだよね。ひと昔は、お客さんとはいえ対等な関係性では無く、下請けとか雑用のように結構下に見られてたみたい。今はもう全然フラットで仲良くやれてますよ。
今は、仕事に対して「やりたいこと」とか「楽しい」っていうよりかは、これが役割だと腹落ちしてるからモチベーションが安定してるって感じかな。

自分が気持ちがいい人たちといることにフォーカスしていきたい

東京とかもたまに行くけど、人多いし、早々に疲れて早よ帰りたいってなる(笑)。
でも、行って面白いなぁと思うのは、「小豆島」とか「島の人」っていうのを、良い意味で面白がってくれて、会話が結構盛り上がることが多いですね。この前なんか、良く行くアパレルショップで島の話をして盛り上がったデザイナーさんがいて、ブランドのカタログを小豆島まで撮影しに来てくれたりとかもありました。それだけじゃなくて、モデルとして友達や家族と一緒にカタログに出たりもしましたよ。例えば名古屋から来ましたとかなら、そんなことに絶対にならないと思うんだけど、島がベースにあることでそういった関り方や友達ができるっていうのは、島ならではだし、単純に「いい」っすよね。外に出てみて、島の良さを感じるっていうのはよくあるかな。

性格的にあまり外に出て、ってタイプでは無いのと、仕事柄っていうのもあって、交流はどうしても四海(地区)の中か、仕事関係がほとんど。ただ、自分の同級生は意外と島にいるヤツが多くて、この漁業組合にも小学校からの幼馴染みたいな奴らがおったりはするね。
会社での受注となると、納期とかお金の事とか色々ストレスになることも当然あって、そういう時は幼馴染とか仲良いツレと話したりとかして、息抜きするようにはしてますね。やっぱり、同じ環境に一人でずっといてっていうのはメンタル的によくない。
もともと何かを作ること自体も好きだから、仕事前に自分作りたいものだったり、頼まれたちょっとした制作物を作ったりしてると、何も考えず作業に没頭できる時間を作れるんで、それも気分転換になってますね。

あと、サーフィンは自分の大事なライフスタイルですね。月1くらいで島外にも出たりもしてるけど、実は島内でも出来るんですよ。島内のサーフポイントは決まってるから、風が強い日に行くと知ってる奴らがだいたい入ってる(笑)体も動かせて気持ちいいし、島の休みのアクティビティとしてはちょうどいいですよ。
自分のスタイルとしては今までもこれからも自分が気持ちがいいこと、心地良い人たちといることにフォーカスしていきたいですね。今後、島に対して何か特別大きい事をしていこうとかは無いんだけど、そういう気持ちを軸にしながら自分たちの出来る事を横に広げていきたいっていうのはあるかな。

何かしら動いていくことが、自分の世代の役割

四海って島の中でも独特な地域で、漁師町だけあって昔からクセの強い人が多い。音楽で言うとハードコア‥いや、デスメタル系みたいな。そういうのが面白かったりするのもあるんやけど、なかなか新規でそこに入ってやろうっていうのも大変だと思いますよ。僕もこの界隈ではクソ変人で通ってて、言ったらハードコアの分類(笑)。
そういうクセの強い連中が一同に介する四海地区の秋祭りも、昔は今と比べものにならないぐらい荒かったみたい。今は平和すぎて、爺さん世代からしたらこんなヌルい祭りは祭りじゃないぐらい思ってるんじゃないですかね。そういうクセが強かったり、血気盛んな気質っていうのが、この地域の特徴ですね。とは言え、ここで育ってきたからなんだかんだ言っても、好きですよ。
でも、漁師町としては先々不安なこともありますよ。自営業やっているうちらの親世代は、後継ぎがいなくて「自分の代で辞めたらええわ」ってところも多いんじゃないかな。ウチもそうだけど、職人の仕事はハードやし休みも無いし、お金もそんな貰えないっていうキツさありきの仕事なんで、なかなか今の若い世代は働きたいって思わないんじゃないすかね。「島暮らしってのんびりしてていいね!」なんて思われがちやけど、少なくとも自分の周りは、朝から晩までめちゃめちゃ働いとるからね。

移住の人も今増えてるけど、漁師さんとかも移住の人がやるとかもおもろいとは思いますね。ネガティブな変化に対して、手を打たないってのが一番まずい。漁師の業界自体も、世の中全体も常に動いているので、ゴールを見定めにくいけど、とにかく止まったら終わりだっていう気持ちは強いです。この四海の漁港で何かしら動いていくこと、新しい風を入れていくことが、自分たちの仕事=役割なのかなって思ってます。

プロフィール
須浪 聖龍(すなみ せいりゅう)
1983年、小豆島生まれ。
土庄町にある四海漁港横にある「須波造船」3代目。
趣味はサーフィン。休日は早朝から島内のポイントで波乗りを楽しんでいる。

インタビュー取材・文担当。小豆島出身、進学のため島を離れ、大学卒業後東京で約10年アパレル関係会社で勤務。2017年に小豆島へUターン。現在はpizza kamosでの店舗プロデュースをメインにプランナーとして活動中。

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